僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は3歳の時から練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやっています。だから、1年間で友だちと遊べる時間は5、6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。そして、その球団は中日ドラゴンズか西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。僕が自信があるのは投手か打撃です。
去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームラン3本打ちました。そして、全体を通じた打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そして、僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからもがんばります。 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。
愛知県西春日井郡 豊山小学校 6年2組 鈴木一 朗
これはイチロー選手が小学校6年生の時に書いた作文です。
今や、イチロー選手は、アメリカで最も有名な日本人の一人と言っていいと思います。そのスピードやレーザービームと言われる強肩・グラブさばき、そして芸術品のような打撃技術で、野球ファンをとりこにしています。
私はWBC(国別対抗戦)で活躍しているイチローを見て感動しました。アメリカチームがオールアメリカンのチームで臨んだのに対し、松井はじめ他の日本人メジャーリーガーはこの大会に参加しませんでした。そんな中でただ一人参加したイチローは少年のようなあどけない表情で、日本の大黒柱として活躍し、毎試合ヒットを打つなど王ジャパンを引っ張り、世界一の立役者となりました。
イチローは愛知県の愛工大名電高を経て1992年にオリックスに入団。94年からは「振り子打法」でヒットを量産し、シーズン最多の210安打を記録し、95年には阪神大震災のもと、がんばろう神戸を合言葉にリーグ優勝し、96年にははじめて日本一となり、オフの日米野球ではじめて憧れのメジャーリーガーと対戦を経験しました。
2000年オフに7年連続パリーグの首位打者の実績をひっさげて、マリナーズの一番打者として活躍、アメリカンリーグの首位打者、盗塁王、更にリーグMVP、新人王と多くのタイトルを総ナメ。2004年には4年連続200安打を達成し、シーズン最多安打262本は大リーグ記録になりました。2007年にはオールスター戦で史上初のランニングホーマーを放ち、MVPに輝き、大リーグ最多タイとなる7年連続200本安打を達成しました。
これだけの実績を残してきたイチローですが、その実績は、小学校の時の作文に見られるように夢を持ち、その夢を実現させるため努力を積み重ねた結果なのです。また、この間ほとんどケガをしていないのも一流選手の証です。イチローは打席に入る前も、守備についた時も入念にストレッチをしてケガに対する備えを十分していたのです。ケガまみれのオリックスの清原選手と比べればその違いはハッキリとわかります。
イチローは高卒で決して高学歴とは言えませんが、日本人野球選手で一番の高収入を得ています。今の地位を得ても彼は決しておごることなく、更に自分を高める努力を惜しんでいません。 「もがき、苦しめば光は見えてくる」というイチローの言葉は彼の姿勢を象徴しています。私たちはイチローの華やかな活躍ぶりは見ていても、彼は試合の時、誰よりも早く野球場に来て、黙々と練習に打ち込んでいるということを知りません。彼にただ単に賞賛と拍手を送るだけでなく、彼の生き方を手本にして日々の努力を積み重ねていきたいものです。