コミュニケーションは飲みにケーション
私はよく若い講師と杯を交わす機会があります。そして、飲みに飲み、語りに語ります。私にとってこの瞬間は1日の仕事が終わり、ほっと一息入れる至福の時でもあります。
江戸時代の随筆「百家説林」では、飲酒十徳として、「礼を正し、労をいとい、憂いを忘れ、欝を開き、気をめぐらし、病を避け、毒を解し、人と親しみ、縁を結い、人寿を延ぶ」と言っています。酒はストレス解消になり、酒によって円滑なコミュニケーションが図ることが出来るなど心理的な効果があることを強調しています。
「酒の中に真あり」「酒は本心をあらわす」と格言にありますが、まさにその通りだと思います。酒の席では和気あいあいとなり、一線は保っているものの、年齢や職の壁を取り払って話は大いに弾みます。酒は「明日への活力剤」であり「元気の源」です。
私はひとりで飲む湿っぽい酒よりも、仲間とワイワイ話を盛り上げながら飲む酒のほうが好きだったのです。 しかし、近年、吉幾三の「酒よ」の歌詞が心にしみわたるようになりました。
涙にはいくつもの思い出がある
心にもいくつかの傷もある
一人酒 手酌酒
演歌を聞きながら
ホロリ酒 そんな夜も
たまにゃ なあいいさ
若い講師とは、酒を通じて深くて濃い人間関係が築かれ、酒は彼らとのいい媒介になっています。話し合う内容はもっぱら生徒のこと。生徒のことについて熱く語る彼らの眼はらんらんと輝いています。成績があがった生徒に乾杯!それに関わった自分に乾杯!と「喜びにひたる酒」もあれば、どうしたらあの生徒の成績を上げることができるのか。どうしたらあの生徒にヤル気を出させられるのか「悩みの酒」など様々な酒がありますが、彼らとの話は尽きません。
この酒によって強い絆が生まれ、私も若い人のエネルギーを吸収、注入し、それを明日への活力としています。私にとってコミュケーションはまさに飲みにケーションなのです。
かって私の元には、毎週のように飲みに行った部下がいました。酒を飲んでよく夢を語り・人生を語ったものでした。その部下が私の元を去って後、「よく飲みに連れて行かされていました」とうそぶいていることを耳にし、「酒の中に真」のない人間とは一生つき合うべきではないとつくづく思いました。
酒には不思議な魅力があります。多くの「酒縁」もでき「酒友」もできました。次の土曜日にも飲み会があります。それを楽しみにし、心浮かれながら今この原稿を書いています。