継続は力なり
「継続は力なり」という言葉があります。文字通り、続けることによって力は蓄積され大きくなるという意味です。生徒にたゆまぬ努力を続けよう。そうすればいずれは花咲く、自分に負けることなく頑張れという気持ちを込めてわが塾の入口付近に張られています。
しかし、この言葉が思わぬ人に思わぬ影響を与えたのでした。ある日、塾を訪れた業者の一人がその文字をしげしげとながめながら、
「先生、継続は力なりというのはいい言葉ですね」と話しかけてきました。
私は、この言葉を毎日見ているため、飽きが来てそろそろ張り出す言葉を変えようかと思った矢先のことでした。それだけにとても驚かされたのです。
「どうしてですか」と聞きかえすと、「いや、私個人的にいろいろなことがあってこの仕事やめようと思ったのですが、今ここでこの言葉を読んで、私の今までのこの仕事はどんな力を生んだのだろうかと考えさせられまして。」
「私がこの仕事を続けてきて、先生のような方とも知り合いになりました。そんな人間的なつながりをフイにしてまでも、つくような仕事が自分にはあるのだろうかとつくづく考えさせられました。」
「私、今日は仕事をやめることを先生にお伝えにきたんですが、もう少し頑張ってみます。」
「私、継続は力なりという言葉に力をもらいました。ありがとうございました」
私はこの時はじめて、この言葉に奥深さを感じ、さっそく出典を調べてみることにしました。そうするとこれは、大正時代から昭和にかけて広島で活動した住岡夜晃という人の詩の一部であることがわかりました。彼は小学校の教員を9年間務めた後、仏門に入り親鸞の教えを説くことに生涯を捧げたということでした。
青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ
この詩の中に「継続は力なり」という言葉があったのです。
繰り返しの力が経験となり、経験が積み重なると力になる。経験が積み重なると力に深みが出てくる。この経験の量が能力の差となって現われる。
普段何気なし使う「継続は力なり」の格言が生まれるにはこんな背景があったのです。それを知ると「継続は力なり」の言葉がますます重く思われるようになりました。
それ以来「継続は力なり」この言葉は、わが塾の座右の銘になりました。