今こそ「米百俵の精神」を
日本や欧米などの30の国の教育の現状データが経済協力開発機構(OECD)より公表された。これによると06年の各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合を比べると、日本はわずか3.3%で28カ国中、何と下から2番目だった。7.2%のアイスランド・6.2%のデンマークなどに比べれば、数字上では日本は完全な教育後進国である。
かって戊辰戦争に敗れた長岡藩は明治新政府より減知され、6割を失って財政が逼迫し、藩士の生活は困窮を極めた。この窮状を救うため、三根山藩から百表の米が贈られることになった。
これでみんなの生活が少しは楽になると藩士たちは大いに喜んだ。しかし、藩の大参事であった小林虎三郎は、この米を藩士に与えるのでなく、米を売った上で学校を開く費用とすることを決めた。
藩士たちは驚き小林虎三郎のもとに抗議に訪れるが、
「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国が興るも、滅びるも、まちが栄えるも、衰えるも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校を建てたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万表になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや米俵などでは、見積もれない尊いものになるのだ。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれないぞ。新しい日本は生まれないぞ。……」と言って持論を押し通した。
売られた米で開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。この学校には庶民も入学を許され、今の新潟県立長岡高等学校の前身となったという。
この話は元総理大臣の小泉純一郎によって国会の所信表明演説で引用され有名な「米百俵の精神」という言葉になった。
「目先のことにとらわれず、明日のために行動せよ」という小林虎三郎の考えがひしひしと伝わってくる。教育は国の礎、子どもは国の資源である。それが世界の主だった国の中での教育支出が下から2番目とはなんという貧しい教育行政だろうか。
教育支出もさることながら、教育環境面でも大きな遅れをとっている。1クラス平均の生徒数見ると、小学生で平均人数は28.2人で、OECDの平均21.4人と開きがあり、中学生に至っては1クラス33.2人で、平均の23.9人と大きく水をあけられている。
つまり教育支出も教育環境も最悪に近いということになる。こんな国に未来はあるのだろうかと嘆かざるを得ない。
長年続いた自民党政権が終わりを告げ、これにとって代わった民主党は教育への公的支出を5%以上(対GDP比)に引き上げるというが、これには約7〜8兆円の財源が必要となる。しかし文科省の今年度の予算は約5兆3千億円。果たして実現できるのだろうか。
民主党の『教育維新』に大いに期待したい。