言葉は力
東北楽天イーグルスの監督だった野村克也氏には含蓄ある言葉が多い。パリーグの優勝を決めるクライマッスシリーズ(CS)の第1ステージの第2戦で、無四球完封で勝利に貢献した田中将大投手に発したのは「横着を覚えたな」いう言葉だった。
それは、完投を考えてペースを刻む田中投手に、「若いおまえは、ペースを考えて投げるのはまだはやい。もっとがむしゃらに投げろ」と言わんばかりであった。
しかし、言われた方も監督の意を心得ている。「三流は無視、二流は称賛、一流は非難」という普段から言われている言葉を覚えているからだ。
私は高校野球の監督を十数年務めたことがあったが、選手を練習や練習試合では決してほめることはしなかった。(若い頃は血気盛んであったが、これは35歳超えての話である)それどころか徹底して叱った。叱られるそういうプレッシャーを感じながらプレーをしないと本当の力は身につかない。プレッシャーに打ち克ってこそ本物の力が身につく。
また、勝った試合の後もよく選手を叱った。勝った試合の後の選手は、気分もよく実に言うことをよく聞く。従って叱った効果も倍増するのである。 逆に負けた試合の後はいっさい叱ることをしなかった。試合に負けて落ち込んでいる選手に多くを言っても効果はない。そう思ったからだった。
しかし、本大会ではまったく叱ることはしなかった。選手が存分に力を発揮するように、ベンチでドンと構えていた。この指導法が功を奏してか、強豪ひしめく兵庫県大会では、県立高校でありながらベスト8に二度も入ることが出来た。
私は一度だけ選手を試したことがある、格下と思われるチームに惨敗をした時は、怒りが爆発した。
試合に負けたことで怒ったのでなく、試合前から相手をなめたような態度が見え、 高校生らしい謙虚さが微塵もなかったからだった。試合後、「負けるべくして負けた」と部員に告げ、帰りは罰として走って学校まで帰るように命じた。
1時間半後、息をはずませ、学校まで約20キロの道のりを部員全員が走って帰ってきた。でもおかしい、20キロの道のりを1時間半で全員が帰ってこれるはずがない。
「おまえら、まさか誰かの車に乗せてもらって帰ったわけじゃないだろうな」この言葉に、部員はいっせいに憤怒はちきれんばかりに私を睨みつけた。それを見ていると、どうやら全員が本当に走って帰ってきたらしい。しかし、おかしい。私が不思議そうな顔をしていると、キャプテンが一言「近道を通って帰ってきたので、半分の距離ですみました」皆が大爆笑。
その後、私は少しでも部員を疑ったことを謝り、それから、私がなぜこんなことをさせたのか懇々と言って聞かせた。 その時から部員との絆は一層深まったように思う。
「礼儀正しさ」「素直さ」「謙虚さ」はその後、部訓となった。ただ単に野球をするだけでは駄目だ。野球する姿勢が日常生活にも生きていないとそれは本当の野球ではない。 『野球を通じての人間形成』まさにそれだった。
この教え子たちも、すでにアラフォー。 子供たちに野球やソフトボールを教える年代になった。「礼儀正しさ」「素直さ」「謙虚さ」は次世代に受け継がれ、エネルギーを注ぎ込む力となっている。