ありがとうノムさん
東北楽天イーグルスの野村克也監督のぼやきはもう聞けない。あのベンチでドッカと構える姿がもう見られないとなると、何か寂しい。あのぼやきは勝つにつけ、負けるにつけ面白かった。彼のぼやきには辛辣な言葉も多くあったが、その裏には『野球愛』『選手愛』があった。つまり『情』のあるぼやきだった。その『情』を隠すため、彼はさかんに毒舌づいたのではないだろうか。
「ボヤキは永遠。勝ってはボヤキ、負けてはボヤキ。気持ちよく帰られる日はいつの日ぞ」
選手時代は、ひまわりのような華やかな王・長嶋と違って、自分を日陰に咲く月見草に喩えた。監督になると、決して強いとはいえないチームを渡り歩き、チームの底上げをはかってきた。また、球団に見捨てられた選手を蘇らせ、野村再生工場ともいわれた。
「お前、クビになって悔しかったやろ。じゃ見返してみろ。心が変われば人生も変わるで。」
昭和の香りのする最後の名将とも言える。
野村さんは日本プロ野球界に多くのことを導入した。クイックモーションもその一つだ。捕手という視点から、当時の盗塁王福本豊の盗塁を阻止するために考え出したものだった。また、いちはやく投手の分業制も取り入れ、リリーフ投手は先発に劣るという従来の考えを否定し、阪神を放出された江夏豊を南海ではストッパーに起用し、見事蘇らせた。
ID野球は彼の代名詞ともなっているが、データを徹底分析し、野球を読んだ。ヤクルト時代には、「プロ野球選手は野球博士であれ」と、監督就任間もない頃に野球規則のテストを行ったことがある。
『プロ野球界に革命を起こす』これが彼の信念だった。
象徴的だったのは、クライマックスシリーズに敗れ、引退が確定的となった野村さんを両チームの選手が胴上げしたシーンだ。5度も宙に舞った野村さんは涙を見せることもなく、球場を去った。年齢的にもユニフォームを着るのは最後だろう。テレビで見る後姿は寂しそうだった。
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」
最後は日本ハムに負けて花道は飾れなかったけれど、
「チームとしてはこれでよかったんじゃないか。段階を踏んでいった方がいい。
ビッグゲームで負けて得られるものもある。負けた方が真剣に反省する。」
野村さんらしい言葉を残して、監督生活に終止符をうった。
ありがとうノムさん。
お疲れさんノムさん。
今は親しみを込めてそう言いたい。