2011年01月26日

花を愛でる

 先日、夏川リミの歌う「川」聞いて、澄んだ歌声と歌詞の深さに思わず聞き入ってしまった。
            
            川は流れてどこどこ行くの
            人も流れてどこどこ行くの
            そんな流れがつくころは
            花として花として咲かせてあげたい
            泣きなさい  笑いなさい
            いつの日か  いつの日か
            花を咲かそうよ
 

 花は人の心を和ませてくれるもの。よく花をめでると言うが、“めでる”は“愛でる”と書く。この響きが何ともかわいらしく、心地いい。

 花は決して裏切ることはない。こまめに水を与え、肥料を施せば、元気に花を咲かせてくれる。花に「元気に咲けよ」とささやきかけると、花はそのようになる。これは、私どもの塾の講師の村山美根子先生からお聞きした言葉である。
 村山先生は、ガーデニングを趣味にされており、今ではわが塾の植物の世話はすべてお任せしている。先生のおかげで枯れかかっていた観葉植物も見事蘇り、また青青とした色を楽しませてくれている。玄関には季節にちなんだ花が彩りを添え、私たちの目を楽しませてくれる。やはり花はいい。
  

 吉田松陰は、「花を咲いたを喜ぶ心は、学ぶものではない。」「草花にも心がある。花を美しいという心は学ばずとも誰でも備わっている。これぞ生きる醍醐味。」と言った。
彼は、『花と同じように人も呼びかければ必ず応えてくれる。応えてくれないのは呼びかけが足らないからだ。』と松下村塾で塾生の一人一人に“信頼”を施した。そうすると塾生はそれに応えるようになったという。
  

 武者小路実篤も「讃」と呼ばれる色紙(文学作品からの引用ではないが、実篤が花などとともに書き添えた短い言葉)に「空に星、地に花、人に愛」をよく描いた。
 

 天に星の瞬きがなければ、闇に閉ざされた夜に息をのむ様な美しさは感じない。大地に花が咲かなければ、心温かな優しい感動など生まれはしない。そして人は愛がなければ、きっと輝きを失ってしまう。
  

 花はやがて散り、葉も枯れる。しかし、花を愛でる心は芽生えている。人を動かすのは心。心が通じていると人は必ず動く。言葉より行動であり、行動よりも心である。

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