独創的な詩が全国一に
先日神戸新聞を読んでいた時、若者らしく、みずみずしい詩が目に留まったので紹介したい。
「飴(あめ)」
舌の上で、過ぎた時が流れ始める
縁日の夜祖母がくれた小遣い
半券を買う五十円玉の穴から
ぼくは夢の中を覗いた
流れ星をつかまえた
僕の手に握ったこんぺいとう
一つ食べれば1gの宇宙が宿る
二つ食べれば空も飛べるさ
折り重なる光の層を身にまとい
どんぐりあめの惑星へ
母がくれた飴玉は
「なんでもひとりでできる」の魔法
くじけそうな時に口に入れれば
甘い魔力が呼び覚ます、僕の中の七色の闘志
涙を流して口に入れても
涙の塩気を海に還すよ
どんな時も飴をなめれば
タイムマシンが口に広がる
笑顔の僕が彼方に見える
高校2年生の西尾光暉君作の詩である。彼は、現代詩の全国コンクールで最高の文部科学大臣賞を受賞した。
まるで宮沢賢治を思わせるような斬新で、独創的な詩風だ。
西尾君は脳性小児まひの障害があり、今も車椅子での生活を強いられている。小学校5年の時、足の手術で入院し、詩はこの時なんとなく日記を書くような気楽な気分で書いたという。
ある日、病院に勉強を教えに来てくれた女教師が詩に気付いた。西尾君は恥ずかしいさのあまり手で顔を覆ったが、その先生が詩を読んで泣いた。
この時、自分の紡いだ言葉で人を感動させることができることを知った。以後、毎日詩を書くようになった。
私にも飴の思い出はある。昔(昭和20年代)は1円で2つの大きな飴玉を買えた。貧しい我が家では飴を買ってもらうことなどなかなかなかった。たまたま祖母から5円をもらうことがあるとすぐに駄菓子屋に走った。口の中で飴玉を転がしながら駄菓子屋から出てくる。それが束の間の幸せだった。
その飴玉を50円を持って買う西尾君。時代は変わったものだ。しかし、一つの飴玉から受ける喜びや幸せは不変のものだ。西尾君は「どんな子供でも、飴玉をなめれば泣き止むでしょう。あの魔法のような力を言葉で表現したかった」と言う。
この表現の中にも彼の計り知れない感受性を見たような気がする。
(2011年11月22日付神戸新聞から)