土曜授業復活
大阪市で土曜日の授業が小学校一部復活することになった。土曜の授業は「ゆとり教育」の象徴として、学校週休2日制の実施により廃止されて以来、実に10年ぶりの復活となる。
競争を否定する文科省の推進した「ゆとり教育」から生まれたものは、「ゆるみ」以外の何ものでもなく、ジャーナリストの櫻井よしこさんに言わせれば、「ゆとり教育が国を滅ぼす」だ。
ゆとり教育が生んだ最大の汚点は、子どもたちの親にまでゆとりが伝染したことだろう。そんなことからモンスターペアレントと言われる、文字通り怪物が出現したのである。
いったんゆるんだタガを戻すことは大変なこと。しかし、教育こそ国の基本。遅きに失したが文科省は「脱ゆとり」とばかりに、中学校の学習指導要領を改定し、土曜も授業を実施していた頃の授業時数に戻すことになった。
しかし、待てよ。今は学校完全週休2日制。これで多く増やした授業時数を消化できるのか。授業時間が増え、学習内容もますます難しくなると、できる子どもとできない子どもの格差がますます広がるということさえも文科省はわからないのだろうか。
今回の学習指導要領を改定は、理数科目に重点が置かれ、全学年通して理数科目の時間は増え、特に中3に至っては理科の授業時数は2時間から4時間へと倍増している。
この中での大阪市の土曜日の授業の一部復活。とあるが、土曜日の授業は実際では地域や保護者への公開が前提で、目的としては学力の向上・保護者や地域の人材の講師としての参加・地域と連携した防災教育・体力向上を図るためのスポーツ大会や文化的活動などが主な内容で教育現場では、催し物・イベントに重点が置かれ、学力向上に土曜の時間をこなしているとは思えない。
教育は国の根幹をなすもの。国難の今こそ『米百俵』の精神に立ち返り、教育を充実させたいものである。
※米百俵
幕末、戊辰戦争は長岡城下にも及んだ。長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行った。その結果、250年あまりをかけて築き上げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。
この中、文武総督に推挙された小林虎三郎は、見渡すかぎりの焼け野原のなかで、「時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しよう」という理想を掲げ、その実現に向けて動き出した。
翌年、長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきた。藩士たちは、これで一息つけると喜んだ。食べるものにも事欠く藩士たちにとっては、のどから手が出るような米であった。しかし、藩の大参事小林虎三郎は、この百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして米百俵を売却し、その代金を国漢学校の資金に注ぎ込んだ。
虎三郎は「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かって語りかける。
「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米俵などでは、見積もれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本は生まれないぞ。……」
(山本有三「米百俵」の戯曲より)