2013年01月24日

 桜宮高校体罰自殺事件に思う

大阪の桜宮高校のバスケットボールキャプテンが、顧問の教師から体罰を受け自殺するという痛ましい事件が起きた。マスコミに出てくるコメンテイターは、「キャプテンへの行為は体罰でなく、暴力だ」とステレオタイプで語る。
 私たちはマスコミを通じてしかこの事件の情報を持たない。様々な情報が交錯しているため、何を信じていいのかわからない。しかし、この顧問が部活の練習で日常的に体罰を振っていたことは確かなようだ。


 問題は以前に「バスケットボール部に体罰があると」いう通報に、教師側だけに聞き取りをして「体罰は無かった」という結論を出したことだ。この時点で生徒側にも聞き取りをしておれば今回のことは防げたのかもしれない。
 

 この顧問「熱意があり、生徒に対して本気で接する人」と評価する人も多い。公立高校のチームが強豪ひしめく私学の中あって並々ならぬことをしないと、インターハイには出場できない。試合で負けた後「勝たせてあげなくて、すまなかった」と敗戦後涙で生徒に謝る熱い心ある顧問だったという。OBの1人も「先生にたたかれたときは、練習に身が入っていないなど自分自身に問題があった。先生からはフォローもあり、うまくいったときには『おめでとう』『ようやった』と声をかけてくれた」と振り返る。
 

 現役部員も顧問への尊敬の念を言葉にする。「先生はバスケの指導がズバ抜けていたが、高校生としてどうあるべきかを教えてくれた。それは人としての気遣い。道を聞かれたら教えるだけじゃなく、一緒についていってあげるとかを教えてくれるような人だった」
あるスポーツ評論家が「たかがインターハイ出場ではないか」と語っていたが、インターハイに出場するには、私生活を捨て、すべてをバスケットボールにかけていたに違いない。それをたかが‥と語るコメンテイターの馬鹿さ加減には閉口させられた。


 努力は人のしないことをすること。結果の出ない努力は努力ではない。と高校野球監督時、私は徹底して生徒を鍛えた。鍛えるのは野球の技術だけではなく、取り組む姿勢、礼儀などもちろんのことである。「礼儀正しさ」「素直さ」「謙虚さ」が身につくと野球の技量も高まり、それにつれて勝ち星数も増え、チームは強くなった。


 この顧問もバスケットボールを通じて「やればできる」を伝えたかったに違いない。ただ、愛情の伝え方が過激だった。「下級生は決してたたかず、上級生をたたいていた。気合をいれるためだと理解している」と保護者の一人は話す。たたくにも一つの決め事を持っていた。キャプテンだけにそれが集中してしまったのか。
 

 顧問の先生は5年間で3度のインターハイ出場した実績もあり、自分のやり方におぼれてしまったのかもしれない。それを止める誰かがいなかったのか、残念でならない。
 

 私は、今回の事件が日々労苦を担っている部活動の顧問に大きな影響を与えるのではと危惧する。実際部活動の指導は多忙を極める。強豪チームに休みの日などほとんどない。なぜ、それ引き受けるのか。マスコミの言う勝利至上主義ではない。それは部活動を通じての人間形成でもあるからだ。勝つ喜び、負ける悔しさを感じることにより子どもたちは成長する。そして、生徒の味わう達成感はその後の人生に大きな影響を及ぼす。部活動を通じて多くのことを学ぶ。これは教室の中では決して味わえないものだ。


部活動は教師の仕事ではない。と言って全くかかわろうとしない教師も多くいる。なにもやらないから問題は起こさない。「教科指導」「生徒指導」「クラブ指導」これができてこその本物の教師だと私は思うのだが‥‥


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