努力の天才イチロー
42歳の年齢をものともしないで、野球と真剣に向き合っている「努力の天才」イチロー。
彼によれば、
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところに行くただ一つの道 だという。
そんな彼があのピート・ローズを超える通算4257安打という大記録を打ち立てた。
私が特に印象に残っているイチローの言葉を紹介したい。
努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。
僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日はよい結果が出なかった。
でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。
なぜなら、できる限りの努力をしたからです。
どんなに難しいプレーも、当然にやってのける。
これがプロであり、僕はそれにともなう努力を人に見せるつもりはありません
ハイレベルのスピードでプレイするために、ぼくは絶えず体と心の準備はしています。
自分にとっていちばん大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。
やれることはすべてやったし、手を抜いたことはありません。
常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して、 準備した自分がいたことを誇りに思っています。
準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。
プロ野球選手は、怪我をしてから治す人がほとんどです。
しかし、大切なのは怪我をしないように、普段から調整することです。怪我をしてからでは遅いのです。
試合開始が遅れることを聞いて寝ました。こういうときのために自分の枕を持ってきています。
特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
特別なことをするためには、普段の自分でいられることが大事です。
しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。
手抜きをして存在できるものが、成立することがおかしい。
練習で100%自分を作らないと、打席に立つことは出来ません。
自分の形を見付けておかないと、どん底まで突き落とされます。
練習で作った形を100%としたら、70%や80%の力で結果を出さないといけません。
そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。
誰だってそうじゃないですか。
つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。
でも、僕は子供のころから、 目標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのは、うれしいじゃないですか。
アップの時には全力で走るとか、早く来て個人で練習しているとか、そんなことは僕にとって当たり前のこと。
実戦でないと、できないことがあります。一瞬の判断は、 練習では養われません。
同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。
やらされる練習じゃなければ、いろんなことが、うまくまわってきます。今自分がやっていることが好きであるかどうか。
それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず。
汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。
手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。
記憶が体に残ってゆきます。
やってみて「ダメだ」とわかったことと、
はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと伸びません。
結果を出せないと、この世界では生きていけません。
プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。
何年、野球をやっても、 勉強することがあるのです。
はじめから、今があったわけではありません。状況は少しずつ変えていけるものです。
「準備」を怠らず、「努力」「継続」をひたすら重ねる炎の人イチロー。この言葉教え子たちに語り続けていきたい。