2018年08月17日

 スーパーボランテイア尾畠春夫さんが貫く信念

 山口県周防大島町で3日間行方不明だった藤本理稀(よしき)ちゃんが発見された。発見者は大分県から軽ワゴン車で駆けつけたボランテイアの尾畠春夫さんだった。
 

 この尾畠春夫さん、2016年の熊本地震や11年の東日本大震災などにもボランテイア活動に加わっていたボランテイア仲間では「伝説のボランテイア」だという。


 『お金はいるだけあったらいい。余分な金はいらない』が信条


尾畠さんのボランテイア活動費はすべて月4万5000円のわずかな年金から捻出しているというのも驚きだ。

  元々魚屋さんであった彼は65歳で店を閉め、「学歴もない自分がここまでやってこられた。皆さんのおかげだ。余生は社会に恩返しがしたい」と思いボランテイアに精を出すようになった。
 捜索中「よしくーん」という大声は、店先で鍛えたものだ。警察や消防など150人態勢での捜索が行われたものの理稀ちゃんは3日間見つからなかった。しかしその日は捜索開始から約30分で発見に至った。
 

 発見場所は、祖父が最後に「よしくん」の姿を確認した場所から約500メートル離れた。樹木がうっそうと生い茂る森の中で、足元は石だらけ。
「子どもは上に上がっていく習性があると思っていたから。だから、上がっていったらぴったり当たった」という。
2016年に大分県佐伯市で女児が行方不明になった時も捜索に参加。この時、別の男性が女の子を発見したが、それが教訓となって「捜索隊が予想しない場所をあえて探そう」という判断をしたのだという。


 「理稀くんに出会わせてくれて、元気に抱いて下りられたことが最高の幸せです」と語りながら涙ぐむ尾畠春夫はまさにスーパーボランテイアだ。
 尾畠さんは諦めかけていた母親とある話をしたという。


 「私が見つけたら、必ず私が抱きしめて、直にあなたにお渡しします。」
お母さんに理稀くんを渡した時、もうお母さん声が出なかった。あのときのうれしい顔は一生焼きついて離れない。理稀くんがどこかでまた元気で大きくなったら人の喜ぶことをしてあげてって伝えたいですね」


 人が困っていればその場に駆けつけてきたが、助ける相手側に迷惑をかけないのというのが尾畠さんの信念。
この後、ヘルメットに「絆」「朝は必ず来る」と書いた尾畠さんの姿は呉あった。そして豪雨で家屋に押し寄せた土砂の除去に陣頭指揮をしていた。

 「かけた恩は水に流せ」
 「受けた恩は石に刻め」が座右の銘


 自己完結するのが真のボランテイアだと
 実直に人の徳に信念を貫く尾畠さん
 
 人はこうありたい。つくづくそう思わされた。

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