2022年07月14日

深刻な教員不足

教育は国家の根幹と言うけれど、日本では教員不足が深刻だ。
兵庫県内の公立学校では教員が114人足りず、国語が自習になっていることが報じられた。
また、
「学校だよりで教員募集されていた」
「メールやチラシで教員の募集があった」
「コンビニに教員募集のポスターが貼られていた」
など以前では考えられない事態が生じている。


今や学校の教員はブラックの代表的なものになってしまった。

教員は教科指導・クラス指導・部活動指導・生徒指導などの過酷な労働に加え、親や近隣からのクレーム対応などに追われ、体力的にも精神的にも疲れきっており、魅力ある職業ではなくなっている。
教員不足のために、非常勤の講師がクラス担任になることもあるまた、副校長がクラス担任を兼ねているところある。このほか 産休育休の他に、心を病んだり体を悪くしたりして休む教員もたくさんいるので、教員不足が常態化しているという。


私たちの時代は、オイルショックもあって教員採用試験は高倍率の超難関だった。また、採用試験に合格しても、学校側から声をかけられなければ合格は無効となり、来年再受験しなければばならないといういうこともあった。テレビ番組の影響もあって、教職に憧れを抱き、生徒の中に身を投じ、喜びや悲しみをともに味わう。それが先生たった。そしてそれにやりがいを感じていた。


かって小泉首相は国会で「米百票」の例を挙げて、教育の重要性を説いた。
明治初期、窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられたが、当時藩の要職にあった小林虎三郎は、藩の武士や住民に分けてしまったのでは数日でなくなってしまう米百俵を、将来の千俵、万俵として活かすため、学校の設立資金に使った。
その結果、設立された学校からはその後、人材が続々と輩出された。この精神は「米百俵の精神」と呼ばれ、教育への投資こそ国造りにとって最も重要な投資であるとの考え方を示したものである。


管子の一節に、 「一年の計は穀を樹(う)うるに如くはなし 十年の計は木を樹うるに如くはなし 終身の計は人を樹うるに如くはなし」というのがある。
これが教育は『国家百年の大計』であると言われる所以であるが、深刻な教員不足や教員の長時間労働が大きな問題となる中、このような事態を改善するには教員の待遇改善が差し迫った課題となっている。

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